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エンドロールより愛をこめて

このブログをご覧の皆さんは、エンドロールについてどのような想いをお持ちだろうか

エンドロールとは、映画の最後に流れるあれである。
エンディングロールとかスタッフロールなどとも言われ、どちらかというと映画好きな方にはスタッフロールという言葉の方が馴染みがあるのかもしれないかな

今回は、多くの部分をDVDの話ではなく、劇場での話という事で読んで頂きたい。

エンドロールに関しては、全部見る人と、流れ始めたら席を立つ人とに分かれると思うが、最近の映画はエンドロールの後に最後のシーンなり、次回への伏線が流れる事もあり、多くの人がエンドロールを最後まで見る風潮にあるのではないだろうか。

そもそもエンドロールが始まったのはいつであろうか?
私の子供の頃の映画は、オープニングで主題歌と共にキャストやスタッフの名前が表示されてからストーリーが始まり、最後は、「完」とか、洋画であれば「The End」なり「Fin」なりが出て終わりというものが殆どだったと記憶している。
あれはあれで趣があっていいとは思うのだが、映画が分業制というか、専門性が高くなってくるについれて、映画に携わる人間が飛躍的に多くなってきたのであろう。
全ての人間をオープニングで表示するには無理が生じてくるようになり、エンドロールという形になったのではないかと想像する。

しかし、エンドロールが流れるようになったばかりの頃は、殆どの人達が途中で席を立って帰り始めていたようである。
しかも、映画館によっては、エンドロールの途中で劇場が明るくなってしまうのだ。
私の記憶違いであればご容赦願いたいが、そんな途中で照明を付ける映画館は名古屋では珍しくはなく、多くの映画館でそうだったように記憶している。
かくいう私も当時はエンドロールを最後まで見る人間ではなかったので、明るくなった映画館でエンドロールが最後まで流されていたのかはよく分からない。

考えてみれば、当時の名古屋は映画といえば殆どが二本立てだった為、一日に流す映画の本数も今よりは多かったろうし、入れ替え制でも無かったので、幕間の館内は帰る人、新たに入る人、引き続き居座る人がごちゃ混ぜだった、入る人は空いた席をさがし、「ちょっとすいません」と言いながら狭そうに座っている人の膝をすり抜けて真ん中あたりの席に向かって進んでいくなんて光景は、ごく普通の事だった。 そういう背景もあり、少しでも長く入れ替え時間を確保したかったという映画館側の事情があったと言われれば、まぁそれも分からなくもないのだが、いずれにしても、今考えるとエンドロールにとっては酷い時代であったろう。

そもそも、エンドロールになった経緯が(権利関係の面倒くさい事情のあったかもしれないが)映画に携わる全ての人を映画の中で紹介したいという制作者側の思惑があっただろう事を考えると、さぞ残念であっただろう。

そんな状況を嘆いたからであろうか、映画製作者側の反撃が始まるのだ。
私の記憶では、確か「キャノンボール」という映画だったと思う。
エンドロールが流れる間中ずっとNGシーンを流すという当時としては画期的な戦略に打って出た。
当時私はこの映画のエンディングで多くのハリウッドスターのNGシーンを見て非常に胸が高鳴ったのを覚えている。
このNG集が後のジャッキー・チェンの映画へと引き継がれ、そして時を経てピクサーがリスペクトする事になるのだが、話題がそれるので今回は辞めておこう。
このエンドロール対策は、以降の多くの映画で取り入れられ、NGシーンなり、撮影風景なり、イメージ映像なりが流れるようになったようだ。

そして、さらに時を経てエンドロールの後に最後の1シーンが流れるようになったのだが、これの最初がどんな映画だったのか、私には分からない。
ただ、エンドロール対策が進化したものだという事は確かであろう。

では、多くの映画で何故エンドロール対策なんてするのだろうか・・・・

ファンサービスなどと解説をしている人を見かけるが、私が聞いた話では「エンドロールを最後まで見て欲しいから」だそうだ。
エンドロールには、映画に携わった人達が全て表示される。 その全ての人達を見て欲しいという監督を始めとする制作者達の想いがあのエンドロール対策を生み出したのだという
私はその話を聞いて胸が熱くなったのを覚えている。

以来、私はエンドロール対策があろうと無かろうと、エンドロールは最後まで見るようにしている。

余談になるかもしれないが、私の見た中では、最後のシーンがある映画はエンドロール中の映像が無かったり、質素だったりしたように思う。
それは、やはりオマケ映像ではなくエンドロールそのものを見て欲しいという想いからではないだろうか。

エンドロールには映画に携わる人間の愛が込められているのだ。
今度映画館で映画を見る時があれば、この事を少し思いだして欲しい。

エンドロールに関してもう一つ
数年前になるだろうか、今回のエンドロールの話を知人の映画好きとした事がある。
その知人もエンドロールの最中は席を立たないそうだが、また別の理由からだった。
その知人の理由とは

エンドロールは映画音楽を純粋に楽しめる時間なのだ
映画館という素晴らしい音響施設の中で、(台詞とか効果音など無く)純粋に映画音楽だけが流れてくるのだ
こんな贅沢な時間はないじゃないか、席を立つなんて勿体無い。

確かにそうだと思う。
特にハリウッド映画などは映画音楽が飛びぬけて素晴らしいと思う。
そういう理由でもいい、やはりエンドロールは最後まで見て欲しいと思う。

超余談になるのだが
私はキャノンボールがエンドロール対策の最初だといい、それに胸が高鳴ったと書いている。
キャノンボールは1981年の映画なのだが、ルパン三世のカリオストロの城が1979年なのだ。
確かカリオストロの城はオープニングでスタッフ紹介がされている。
僅か2年しか違わないのだ。
エンドロールは洋画が殆どではあったろうが、キャノンボールを見た時は画期的だと思ったという事は、その当時の映画事情が目まぐるしく変わったのか、私がその当時殆ど洋画しか見ていなかったのか、それとも、キャノンボールはリバイバル(地方公演)かテレビ放映時に見たのだろうか・・・
幼少期だっただけに少し記憶が定かではないので、ツッコミはご容赦を・・・
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