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今宵のDVD 『かもめ食堂』

舞台は日本かと思っていました・・・

先日、レンタルで「かもめ食堂」のDVDを借りてきて鑑賞した。
この映画、知る人ぞ知るというには知ってる人がとても多い映画だ。

ネットでは高評価を多く見かけるし、食べ物の映画というキーワードで検索しても必ずといっていいほどヒットする映画だ。
それ程知られている映画なのだが、興行収入的には小劇場での上映だった為に、現在の評判を考えると思った程は集客はしていないようだ。

私は名前は知っていたが、どんな内容の話なのかは、全く知らなかった。
しかも、名前からいって日本の食堂が舞台であろうと思っていたくらいだ。

この映画の舞台はムーミンの故郷フィンランド。
日本人には馴染みの薄いこの土地に日本人が店を構える「かもめ食堂」という名の食堂のお話だ。
実は、映画の舞台となった食堂は、フィンランドのヘルシンキにある実際の食堂を使用して撮影をし、その食堂はいまでも「かもめ食堂」という名で経営をしているらしい。(写真を見たが、日本語で映画と同じ場所に「かもめ食堂」と書いてあった)
数少ない日本人観光客の定番スポットになっているようで、個人のブログなどにも写真があげられている。

映画に話を戻すと
この映画には大きな特徴が3つある。

一つは北欧テイスト
舞台となる食堂は、北欧のセンスのいい家具や器、調理器具で囲まれていて、まるで料理本に出てくるお洒落なキッチンそのものがそこにある。
またセンスがいいといえば、登場人物の服も北欧センス溢れるものがいくつも出てくる。 日本人には着こなせないだろうと思わせるようなデザインの服だが、流石は女優さんであろうか見事に着こなしている。 バックなどの小物も北欧好きにはたまらないだろう。
また、フィンランド政府の観光局だったかが後援なだけあって、北欧の森や港、市場など随所に北欧の景色が映し出されている。
旅行好きや北欧グッズ好きな人には魅かれる映像の映画であろう。

二つ目は食べ物
舞台が食堂なだけあってか、殆どのシーンで食べ物や飲み物が出てくる。 しかも、和食が多い。
おにぎり、焼き鮭、生姜焼き、唐揚げ、味噌カツ、おでん・・・
殆どが調理中の映像からお皿に盛ってお客さんに配膳するまで映し出している。
アングルもいいし、映像も綺麗だ。

三つ目は自分探しの旅
主人公を含めて日本人は3人出てくるのだが、誰もが少なからず自分探しの旅をしているように思わせる。
それぞれが旅をしながら、偶然一つの場所で出会い、暫く一緒に過ごしはするが、またいつか離れて行くであろうというような、旅のもつどこかしら儚げながらも楽しい雰囲気を醸し出している。
そして、それらを演出するように、極力BGMを排し、コップの音や机の音、港や町の雑踏などを効果音にしながら静かに物語を進めている。

この映画には、ストーリーはあるが盛り上がりがある訳でもなければ、事件が起きる訳でも、何かを提起しているという訳でもない。 ただ淡々と物語が進む映画だ。 ハラハラドキドキが好きな人には実に退屈に感じる映画であろう。

しかし、先の三つのテイストが混ざり合い独特の雰囲気を作り出している。

自分達と同じ日本人の、決して若くも美人でもない女性達に共感し、自分を投影させる。異国っぽさに非現実的なものを感じながらも、どことなく憧れや羨ましさを感じずにはいられない。 そして日頃から目にしているありふれた食べ物が、気持ちを落ち着かせ、ホッとしたというかほっこりしたというか、そんなのんびりした癒しをもたらすのだ。

だからこそ好きになる人は、フィンランドに行った時にこのロケ地に行こうと思うくらい好きになるのであろう。

私はどちらかというと、正直悪くないとは思う。
もう一度見たいかといえば、見たいというだろう。

しかし、どうもあざとさが見えてしまうのだ。

北欧も「なぜ北欧なの?」という部分(劇中で語っている)が、必然性を感じさせるには少々弱い気がするし、食事の映像も、私は料理が好きなので、料理の映像はとても楽しく見る事が出来たが、この映画(このストーリー)でそこまで料理動画のような取り方をする必要があるのだろうかと思えてしまう。
自分探しの旅にしても、3人が出会うまでは良いとしても、その後の一緒に働く理由というか根拠というかそういったものに、理屈では分かるが、なかなか共感が出来ない。
また、この映画はおしゃれ感を出すためであろうか、お金の生臭さを一切感じさせない作りになっている。 その辺りにも少々違和感を感じるのだ。

何かしら、皆が大好きなテーマを持ってきて合体させればいいんじゃないの?っていう感じで狙って作られた感を感じてしまう映画であった。
でも、いい映画であるとは思う。

少し余談になるが
映画には、具体的なシーンと抽象的なシーンがある。
具体的なシーンとは、見る者に感じてもらいたいものをそのまま映像にしている、だから目に入る映像をそのまま理解すればいい。
抽象的なシーンは、見る者に何かを想像し感じ取ってもらいたい映像なため、目に入る情報をそのまま捉えてしまうと、話が分からなくなって混乱してしまう。 
この映画は映像の殆どが具体的なシーンからなっている。 しかし、一部抽象的なシーンを含んでおり、それをそのまま捉えてしまうと、この映画が唯のイメージフィルムになってしまう可能性があるように思う。 ストーリー性が少ないだけに抽象的なシーンがこの映画の一つの重みになっているのだが、抽象的なシーンだと捉えるのにはちょっと難しいかなぁと思わなくもない。

ラストシーンに関して
私はこの映画を見ていて、途中から「どうやって終わらせるんだろう」と思って見ていた。
特に盛り上がりのない映画なため、何かが解決する訳でもないし、結論めいた事を導きだす映画でもない。
だとすると、ただ淡々とした日常がフェードアウトしていくのか・・・・と思っていたのだが、予想以上に割とよい感じに帰着したと思う。 不意を突かれはしたがいいラストシーンだったと思っている。

最後に
これからこの「かもめ食堂」のDVDをご覧になろうと思っている人への注意です。
この物語はフィンランドで撮影されているために、フィンランド語が随所に出て来ます。
DVDの最初は字幕設定が「字幕なし」になっているために、そのまま見ると登場人物が何を話しているのかが分かりません。
結構重要な事も喋っています。
なので、ご覧になる前には、字幕設定で「日本語字幕(フィンランド語訳)」ってやつを選んでください。

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ペットロス

先日、うちで一緒に暮らしていた猫が他界した。

彼女は15年一緒に暮らしてきた家族であり、ある一時期、家族を精神的に支えてくれた恩人であった。

今は事情があり、私は家族と離れて暮らしているが、月に一度くらいは家族の元に帰っている。
そして、たまたま帰った時に彼女の様子がおかしい事に気づき、病院に連れて行ったのだ。

彼女は、生まれて数カ月でうちに来てくれたのだが、部屋の中から出ない生活をしていたし、避妊手術もしていないので、予防接種の最初の1年のみで、後は病院とは無縁の生活をおくっていた。
初めての病院で彼女が凄く不安がっていたのを今でも覚えている。
病院とは無縁の生活だった為、それ以降、彼女はキャリーバックにさえ入る事はなかった。

そんな彼女が家族の元ではなく、入院中の病院で他界したのだ。

彼女は幸せだったのか、私の選択は正しかったのか、ああすれば良かったのか、こうすれば最期は家族の元にいられたんじゃないか、どうすればもっと・・・・
そんな事が何度も脳裏をよぎった。

病院からの他界の知らせを受けたのは次の日の昼前だった、会社の上司との雑談でふとその事を話してたようだ。
昼を過ぎてから、その上司に呼ばれて「明日、会社を休んでください」と言われた。
上司を中心に私の仕事をチームのメンバーが分担して請け負ってくれて、私の休みが取れるように配慮をしてくれたのだ。
私はその夜、家族の元に帰り、次の日に彼女の供養が出来た。

上司やチームのメンバーには本当に感謝をしてもしきれない気持ちでいっぱいだった。
後日、その上司にも18年連れ添った犬が他界した経験があり、他人事ではなかったんだと話してくれた。
それから少し、上司と彼女の話をした。


彼女の話をもう少し書こうと思っていたのだが、今回は気持ち的に出来なかった。
また、彼女の事を書ける日が来たら、少しづつ綴りたいと思っています。

エンドロールより愛をこめて

このブログをご覧の皆さんは、エンドロールについてどのような想いをお持ちだろうか

エンドロールとは、映画の最後に流れるあれである。
エンディングロールとかスタッフロールなどとも言われ、どちらかというと映画好きな方にはスタッフロールという言葉の方が馴染みがあるのかもしれないかな

今回は、多くの部分をDVDの話ではなく、劇場での話という事で読んで頂きたい。

エンドロールに関しては、全部見る人と、流れ始めたら席を立つ人とに分かれると思うが、最近の映画はエンドロールの後に最後のシーンなり、次回への伏線が流れる事もあり、多くの人がエンドロールを最後まで見る風潮にあるのではないだろうか。

そもそもエンドロールが始まったのはいつであろうか?
私の子供の頃の映画は、オープニングで主題歌と共にキャストやスタッフの名前が表示されてからストーリーが始まり、最後は、「完」とか、洋画であれば「The End」なり「Fin」なりが出て終わりというものが殆どだったと記憶している。
あれはあれで趣があっていいとは思うのだが、映画が分業制というか、専門性が高くなってくるについれて、映画に携わる人間が飛躍的に多くなってきたのであろう。
全ての人間をオープニングで表示するには無理が生じてくるようになり、エンドロールという形になったのではないかと想像する。

しかし、エンドロールが流れるようになったばかりの頃は、殆どの人達が途中で席を立って帰り始めていたようである。
しかも、映画館によっては、エンドロールの途中で劇場が明るくなってしまうのだ。
私の記憶違いであればご容赦願いたいが、そんな途中で照明を付ける映画館は名古屋では珍しくはなく、多くの映画館でそうだったように記憶している。
かくいう私も当時はエンドロールを最後まで見る人間ではなかったので、明るくなった映画館でエンドロールが最後まで流されていたのかはよく分からない。

考えてみれば、当時の名古屋は映画といえば殆どが二本立てだった為、一日に流す映画の本数も今よりは多かったろうし、入れ替え制でも無かったので、幕間の館内は帰る人、新たに入る人、引き続き居座る人がごちゃ混ぜだった、入る人は空いた席をさがし、「ちょっとすいません」と言いながら狭そうに座っている人の膝をすり抜けて真ん中あたりの席に向かって進んでいくなんて光景は、ごく普通の事だった。 そういう背景もあり、少しでも長く入れ替え時間を確保したかったという映画館側の事情があったと言われれば、まぁそれも分からなくもないのだが、いずれにしても、今考えるとエンドロールにとっては酷い時代であったろう。

そもそも、エンドロールになった経緯が(権利関係の面倒くさい事情のあったかもしれないが)映画に携わる全ての人を映画の中で紹介したいという制作者側の思惑があっただろう事を考えると、さぞ残念であっただろう。

そんな状況を嘆いたからであろうか、映画製作者側の反撃が始まるのだ。
私の記憶では、確か「キャノンボール」という映画だったと思う。
エンドロールが流れる間中ずっとNGシーンを流すという当時としては画期的な戦略に打って出た。
当時私はこの映画のエンディングで多くのハリウッドスターのNGシーンを見て非常に胸が高鳴ったのを覚えている。
このNG集が後のジャッキー・チェンの映画へと引き継がれ、そして時を経てピクサーがリスペクトする事になるのだが、話題がそれるので今回は辞めておこう。
このエンドロール対策は、以降の多くの映画で取り入れられ、NGシーンなり、撮影風景なり、イメージ映像なりが流れるようになったようだ。

そして、さらに時を経てエンドロールの後に最後の1シーンが流れるようになったのだが、これの最初がどんな映画だったのか、私には分からない。
ただ、エンドロール対策が進化したものだという事は確かであろう。

では、多くの映画で何故エンドロール対策なんてするのだろうか・・・・

ファンサービスなどと解説をしている人を見かけるが、私が聞いた話では「エンドロールを最後まで見て欲しいから」だそうだ。
エンドロールには、映画に携わった人達が全て表示される。 その全ての人達を見て欲しいという監督を始めとする制作者達の想いがあのエンドロール対策を生み出したのだという
私はその話を聞いて胸が熱くなったのを覚えている。

以来、私はエンドロール対策があろうと無かろうと、エンドロールは最後まで見るようにしている。

余談になるかもしれないが、私の見た中では、最後のシーンがある映画はエンドロール中の映像が無かったり、質素だったりしたように思う。
それは、やはりオマケ映像ではなくエンドロールそのものを見て欲しいという想いからではないだろうか。

エンドロールには映画に携わる人間の愛が込められているのだ。
今度映画館で映画を見る時があれば、この事を少し思いだして欲しい。

エンドロールに関してもう一つ
数年前になるだろうか、今回のエンドロールの話を知人の映画好きとした事がある。
その知人もエンドロールの最中は席を立たないそうだが、また別の理由からだった。
その知人の理由とは

エンドロールは映画音楽を純粋に楽しめる時間なのだ
映画館という素晴らしい音響施設の中で、(台詞とか効果音など無く)純粋に映画音楽だけが流れてくるのだ
こんな贅沢な時間はないじゃないか、席を立つなんて勿体無い。

確かにそうだと思う。
特にハリウッド映画などは映画音楽が飛びぬけて素晴らしいと思う。
そういう理由でもいい、やはりエンドロールは最後まで見て欲しいと思う。

超余談になるのだが
私はキャノンボールがエンドロール対策の最初だといい、それに胸が高鳴ったと書いている。
キャノンボールは1981年の映画なのだが、ルパン三世のカリオストロの城が1979年なのだ。
確かカリオストロの城はオープニングでスタッフ紹介がされている。
僅か2年しか違わないのだ。
エンドロールは洋画が殆どではあったろうが、キャノンボールを見た時は画期的だと思ったという事は、その当時の映画事情が目まぐるしく変わったのか、私がその当時殆ど洋画しか見ていなかったのか、それとも、キャノンボールはリバイバル(地方公演)かテレビ放映時に見たのだろうか・・・
幼少期だっただけに少し記憶が定かではないので、ツッコミはご容赦を・・・

今宵のDVD 『猫の恩返し』

先日、レンタルで「猫の恩返し」のDVDを借りてきて鑑賞した。

この「猫の恩返し」はジブリアニメなので、劇場でご覧になった方も少なくないだろう。
前回の「ぬくぬく」も、ひたすら猫の映画であったが、この映画も主人公の少女以外は、ほぼ猫しか出てこない。

しかし、こちらの話は猫が好きか否かに関わらず楽しめる映画だと思う。

私が歳を取り過ぎたせいだろうか、始終微笑ましいと思って見ていられる映画だった。
図式的には、敵と味方、善と悪というような対立を様しているのだが、どちらにも相手を負かそう、やっつけてやろうというような悪意は感じられない。
多少性格に問題のあるキャラクターもいるが、まぁその辺りはご愛嬌という程度で可愛らしいものであり、どこか憎めない。

この映画のキャッチフレーズが「ありがとう と言ってくれて ありがとう」というものだが
お話を通じて、それぞれの持つ信念や善意、優しさに満ちている。
冒険?があり、挑戦があり、最後は見る者が望んでいるであろう所に終着する。
こういった話は、やはりジブリは上手だと思うし、十分に見せてくれる。
一人で見ても、恋人や家族と見ても楽しめるいい映画だと思う。

主人公に関してだが
この映画の主人公は誰だろう・・・・と考えた時、勿論、人間の少女である事は間違いないのだが、もう一人気になる登場人物がいる。
ただひたすら恰好のいい、完全無欠のヒーローのような存在のキャラクターなのだが、この登場人物を主役として映画を見てみると、少し変わった視点で物語を見る事が出来る。

今回起きる騒動は、少女にとっては自分の人生を揺るがす程の大事件なのだが、このキャラにとっては人生の中の1エピソードにすぎないのだろうと思わせる。
であるとすると、彼は何者で、何を考え、何処から来て、何処へゆくのか
そう考えると、新たな物語が見えてくる。
そんな深堀が許される程、キャラクター一人ひとりの設定や世界観が十分に練られているのだろうという事にも関心するのだが、
この二次創作的な自分なりの物語を楽しむ為に、映画を2度見るもよし、余韻として想像を巡らせるもよし。
いずれにしても、長く楽しめる映画だと思う。

そしてその二次創作的だと思われたお話は、また別のお話と関係しているのだが・・・
それはまた機会があった時にでも。


声優について
アニメの話には声優の話がつきものだが、スタジオジブリは、本職の声優さんだけではなく、重要なキャラクターに有名な俳優さんを起用する事でも知られている。
声優の大御所の山寺 宏一氏が「声優に大切ものは、個性的な声ではなく演技である」と言っていたのを思い出す。
ジブリに起用される俳優さんは、皆演技が上手である。
今回起用されたのは丹波哲郎氏。
彼は私の大好きな俳優さんだ。
時代劇、アクション映画はもとより、二枚目も、二枚目半も難なくこなす個性派俳優であり、俳優としての演技力は誰もが認めるところであろう。
今回のアニメであっても、非常に個性的でいい演技をしており流石だと思わせる。

他には濱田マリ氏であろうか、彼女はもともと歌手であるが、役者としてもナレーターや声優としても活躍しており、高音が抜けるような特徴的な声の持ち主である。
私は彼女が歌手の頃からわりと好きだったし、最近までNHKのドラマ「マッサン」を見ていたので、彼女の風貌を忘れていないはずなのだが、流石は声優さんといったところであろうか、彼女のチャーミングなお芝居はそんな事を微塵も感じさせはしなかった。
そして、その彼女のチャーミングなお芝居も今回の映画には欠かせない。
どこか憎めないというこの映画の世界観を支えているのだ。

今回も、このブログを書くにあたりネットで予告編を探して見てみたが、イメージを全面に出した予告編でストーリーに関してはほぼ何も伝えられていない。
なので、このブログもこんな感じになってしまったのだが・・・

個人的に、私は十分楽しめた映画であった。
ただ、シリアスな映画、アクション映画が好きで、どちらかというとファンタジーをあまり面白く思わない人には、少々子供っぽい映画に思えるのかもしれないかなぁとは思った

今宵のDVD 『ぬくぬく』

映画なのだろうか・・・・猫好き以外見るべからず

先日、レンタルで「ぬくぬく」のDVDを借りてきて鑑賞した。

久びりに感想に困っている。
この「ぬくぬく」を映画と言ってしまっていいのだろうか・・・と悩んでしまう。

ゆるいというか実にほのぼのとした映画ではある。
大まかなに言うと猫と人間の同居の話だ。

この映画、殆ど1匹の同じ猫と、1人の同じ人間しか出てこない。
猫、猫、猫、猫、たまに人間、そして猫という映画だ
勿論、猫好きには「あるある」エピソード満載で始終ニヤニヤの止まらない映画であろう。
かくいう私も猫を飼っているので、この話が面白いと思える人間なのだが、猫好きでない人がこの映画を楽しめるのかと言えば、かなり疑問に思う。

映画を楽しめない程辛い事もないので、「猫好き以外見るべからず」の映画なのだ

この映画は6つのエピソードから出来ている。
6つのエピソードを通して、全体的なストーリーを作っている。
とはいえ、どのエピソードから見たところで、さほど影響はないと思うが、まぁ最初から見た方が無難だろう。
ネタばれになるといけないのでエピソードには触れないが、まぁ猫好きならば、想像をそれ程外れはしないだろう。

主人公は勿論猫なのだが、人間の方の主人公を温水洋一氏が演じている。
彼の独特の雰囲気がこの映画を一層ほのぼのとさせている。 実に個性的でいい役者さんだと思う。

舞台は鎌倉だろうか、古い街並みがあり、坂があり、向こうに海が見える。
主人公は下駄をはき、昔ながらの籐で編んだカゴを抱えて買い物に出かける。
彼の住み家も古い和風建築で、質素ではあるが昔ながらの暮らしがそこにあると思わせる。
この映画は猫だけではなく、それらのシチュエーションも見る者に安心感や安らぎを与えているのだと思う。

私は映画の楽しみ方の一つとして、サイレントで流すという事をする。
音声を消して、無音で映像だけを流すのだ。
洋画であれば字幕も消した方がいい。
サイレントで流すのは、私の場合決まってお気に入りの映画なのだが、作業の合間合間にふと目をやると、そこにお気に入りの映像が流れているという、なんとも贅沢な気分になれる愉しみ方なのだ。
サイレントは特にお気に入りでなくても構わない。
アクション映画をサイレントで流すのもとても面白い。綺麗な映像ならそれだけで楽しいと思う。
この映画もサイレントに向いているのかもしれないと思った。

ゆるい映画だし、オムニバスに近い構成なので、最初から最後まで見ている必要はない。
勉強をしながら、ごはんを作りながら、仕事をしながら、明日の準備をしながら・・・
そんな時に流しているのもいいんじゃないかなぁ

今宵のDVD 『言の葉の庭』

美しいアニメです。

先日、レンタルで「言の葉の庭」のDVDを借りてきて鑑賞した。

個人的にアニメは好きな映画のジャンルだ
実写には出来ない独特の表現方法があって、映画の一ジャンルとして十分だと思っている。

アニメはどうしても子供の物だという感覚がぬぐいされない人もいる。
今となっては少なくなって来ているのだろうが、それはそれで全く悪い感覚ではないと思っている。

でも、大人が見て十分面白いアニメもあるし、もっと言えば、大人だから面白さが分かるアニメもある。
だから、一度、今のアニメ映画を見てみてください・・・と言ってみたくなる。

今回の「言の葉の庭」が、大人向けのアニメなのかは正直分からない。
でも、今の年齢だから分かるんだろうなぁという主人公達の想いというものを感じた。
それは作る側の人間が「子供騙し」と思ってアニメと向き合っていないという証拠なんだと思う。

で、映画についてですが
まず、この映画を見たおそらく誰もが思うだろう事は映像が物凄く綺麗だということ。
写真や実写を組み合わせたのではないかと思うほどの美しい映像が作品全体を形作っている。
特に雨のシーンはスタッフの気概が感じられる。
風景だけではない。 女性の服や靴といったアイテムがとても綺麗に表現されている。
そういう細かいところをリアルに表現する事で、ストーリーにもリアリティを感じさせているのだろうと思う。

予告編ではストーリーの事には殆ど触れられていないので、ここでもネタばれには気を付けて書く事にするが・・・

このお話は15歳の少年と大人の女性の物語。
私は男なので、この少年の気持ちはよくわかる。

早く大人になりたいと願う年頃の少年が、大人びた女性を通して感じる、憧れの世界。
少なくとも自分は彼女に好意を持っていること、そして自分が彼女の前では背伸びをしようとしていることは、何となく自覚はしている。
でも、彼女はそれをきっと見透かしているのだろう、彼女の眼には自分はやはり子供と映っているのだろう・・・
そういった大人になれない歯痒さからくるであろう自虐的な妄想。
それらが作品を通じて伝わってくる気がする。

一方の女性は社会人
少年の憧れる「大人の世界」と言えば聞こえはいいが、実際にはそんなに美しいものではない。
大人の世界で生きる女性が見出す、何も知らない少年の透き通るような純真さ。
その純真さに救われようと少年に手を伸ばそうとする。 しかし自分が少年に手を伸ばしてしまう事への罪悪感にも似た葛藤。
少年が追う夢を眩しく想い、出来る事なら叶えて欲しいという願い。
それとは裏腹な自分の人生への落胆。

少年と女性のそれぞれの思いが、作品の中で絡み合い物語は進んでいく。

私の解釈が監督の意図したものかどうかは分からない。
しかし、この作品はただストーリーを追うだけではなく、大人だからこそ想像したり重ね合わせたりして主人公の想いをリアルに感じる事の出来る映画だと思う。

この映画は、短い作品ということもあり、お話を読み解く細かな描写があるということと、全体的に静かな作品なので、大事なセリフを主人公がサラッと喋ったりする。 
なので、難しく考える必要はないが、作品とキチンと向き合って見た方がお話を楽しめるかなぁと思う映画だ。

あぁ、そうそう
この作品の主題歌は大江千里さんの昔の歌を今の歌い手さんに歌ってもらったものなのだそうだ。
私はエンドロールでそれを知ったのだが、大江千里といえば、私の青春時代にブレイクしたミュージシャン。
叙情的な彼の歌がこの作品に合っており、「監督、やるなぁ」と一人ほくそ笑んだ。

最後に残念な点を少し・・・
この映画は約46分程の作品だが、今の時代の映画としては短すぎる部類にはいるだろう

これはスポンサーの都合なのか制作側の限界なのかは分からないが、作品をみた感想として、もう少し時間をあげればよかったのではないかなぁと思った。
美しい映像を短い映画の中で効果的に演出しようと思えば、どうしてもストーリーに割く時間も必然的に短くなる。
その尺の短さ故にストーリーが簡潔になってしまっている。
ストーリーだけではない。  ストーリーの簡潔さの為に設定もどうしても簡潔にならざるを得ない。
せめて倍、いや30分だけでもこの作品に時間があげられたら、もっと設定に奥行きが出せただろうし、ストーリーも複雑に、重厚になっただろうと考えると、とても惜しい作品に感じてしまう。

今宵のDVD 『ぱいかじ南海作戦』

先日、レンタルで「ぱいかじ南海作戦」のDVDを借りてきて鑑賞した。

私の大好きな阿部サダヲ主演の映画である。
彼は本当に良い俳優だと思う。 シリアスもでき、コメディーもでき、個性的で、表情も演技も上手い。
彼が主演というだけで期待が高まる。

で、この映画は私の期待通りの映画であった。

阿部サダヲが今回演じる佐々木は、都会で傷ついた一人の男。
失業と離婚が同時にやってきた男は、全てをふっきる為に全財産を持って一人で南の果ての小さな島へと旅立つのだが、南の島で出会ったのんびりとしたホームレスの人たちに心を許してしまい、持物を全部盗まれてしまう。
そして、財産が何一つ無くなってしまった佐々木の南の島でのサバイバルが始まる

というストーリーなのだが、この辺りは予告編に出てきた話なので、ネタバレとまではならないでしょ

南の小さな島とは、沖縄の西表島の事のようだが、作品全体を通して南の島の青い空と、碧い海、白い砂と緑豊かな自然が映し出されている。
しかし、映画の中には確かに美しい風景が映し出されているのだが、観光気分を誘うわけでも、風景に見入ってしまうような演出があるわけでもない。
いや、多少はあるか・・・

それ程お話が面白くて、美しい風景だけが私の目を引くという事がなかったのだ。
確かに一応サバイバルといえばサバイバルのお話だし、観光名所とは無縁の映画ではあるのだが、美しい風景は、たまたまお話の舞台が南の島だっただけ・・・そう思わせる映画なのだ。

主人公の佐々木という男は、色も白く、頼りがいもなさそうで、奥さんに離婚されるのも仕方がないかと思わせるような情けない外見の男なのだが、純真で、人を信じやすく、責任感もあり、それ故に彼を知るほど離れがたく魅了的に思えてくるという愛すべき内面を持つキャラクターだ。
物語の随所に、佐々木の情けなさそうな行動と、それなりに頼りがいがあるところを見せようとする行動、悪になりきれない人の良さ、決意を現す男らしさなどが入り乱れて現れる。
この難しい役柄を阿部サダヲが見事に演じきっている。
正に彼でなければこの役は出来ないのではないかと思わせるようなはまり役なのだ。

主人公の佐々木を通じて、阿部サダヲの魅力が全面に出てくる。
ただひたすら阿部サダヲの映画・・・・そんな気さえする。

阿部サダヲ以外にも、個性的であったり、佐々木と共鳴するような魅力的な性格の登場人物が出てくる。
映画としては
のんびりといえば、のんびり。
ゆるいといえば、ゆるい。
ハラハラドキドキするかといえば、まぁ少しはするかなぁ・・・と、まぁ良くわからないのが正直なところ。

しかし、この映画はどんなジャンルの映画かなどと、あんまり難しい事は考えずに、とりあえずお話の中に入って行くというのが、一番この映画を楽しめるのではないだろうか。

とはいえ、お気軽に流し見をするには少々勿体無いと思える良い映画だと私は思う。

で、これはお話の設定に対する個人的な感想なのだが
主人公の佐々木には、映画の冒頭で失業と離婚が同時にやってきたという話の時に、失業の時に離婚って、奥さんそりゃないでしょ! と男としては思ってしまった。
もう少し旦那さんをだな・・・とまぁ映画とは全く関係無さそうな感想なので辞めておきます。


余談ではあるが
映画の予告編というのは非常に面白い。
多くのDVDにはキャプターというか特典映像に予告編が入っている。
私はいつもDVDを借りる時には、映画を観終わった後にこの予告編を見るのを楽しみにしているのだ。

この「ぱいかじ南海作戦」にも予告編が3種類入っている。
ネットで流れている予告編とは違ったものがあり、またそれも面白いのだ
DVDで鑑賞される方は、是非この予告編をご覧になる事をお勧めする。

『映画好き』ですか? いいえ、エセです・・・

私は最近ブログを始め、映画の話なんかを書き始めたのだが、「映画好きなんですか?」と聞かれると困ってしまう。
というのも「映画好き」とは何だろうという事で分からなくなってしまうからだ。

○○好きといえば・・・
例えば、
酒好きなら、いつもお酒を飲んでいる人。
パチンコ好きなら、しょっちゅうパチンコ屋さんに行っている人。
野球好きなら、野球をよく見ている人、やってる人。
みんなそんな感じだろう。

では、「映画好き」は?
やっぱり、沢山の映画を見ている人になるんだろうなぁと思う。
そういう意味では、私は映画好きの中には入れてもらえないんだろうな。

私が映画館に行ったのは、もういつになるだろう・・・
確か「テルマエロマエⅡ」だったかな。 それも何年ぶりかの映画館だった気がする。
別に映画館に行く事だけが映画ではないとは思っている。
DVDを買ったり借りてして鑑賞する人、テレビの映画番組を毎週楽しみにしてる人。
それぞれの形があっていいと思う。

では、かくいう私はというと
確かに学生時代は、ちょくちょく映画館に行っていた。
友人と土曜日にはオールナイトの映画を早朝まで繰り返し見ていた。
その頃はレンタルビデオもない時代だったから、映画を見るなら映画館に行くか、テレビの「金曜ロードショー」みたいな番組で見るくらいしかなかったのだ。
「趣味:映画鑑賞」というのが、履歴書で持て囃された時代だったのだが、私も映画好きを自称していた。
その頃の話は、また書く機会があると思うので、またそちらで読んでいただくとして・・・

社会人になった頃、会社の先輩に生粋の映画好きがいた。
その先輩は休日になると、あてもなく映画館の多い駅へと行き、その場でその日に見る映画を雰囲気や気分で決めるのだという。
それこそ、ヨーロッパ映画も見ると思えば、「東映マンガ祭り(当時あった小学生向けの映画が何本かセットになった商品)」や「ドラえもん」なども子供達に混ざって見ていたりしたそうだ。
面白い映画に当たった時は、気分がいいので別の映画館へ行ってみたり、面白くない映画だった時は、気晴らしにまた別の映画館に入るなんて事も珍しくなかったようだ。
彼が「映画好き」というのであれば、私はスプラッターは見ないし、悲しくて泣ける話は見ない、西部劇や時代物は見るが、戦争物は見ない。
そんな選り好みをしている時点で映画好きとは言えないだろうとつくづく思う。

それだけではない。
私は家庭の事情もあってその会社を辞め、仕事を転々とし、忙しくて今を生きるのがやっとの生活が何年も続いた。
その頃は映画館はおろか、レンタルビデオすらも見る心の余裕も、お金の余裕も、時間の余裕もなかった。
だから、私は「映画好き」という程の映画を見ていない。
そういった意味でも、私は「映画好き」ではないのだ。


だけど映画はいい。 やっぱり映画はいい。

映画を見ていると、まるで自分の身体の中で今まで止まっていた血液が、再び流れ出すような感覚になる。
わくわくする、どきどきする、違う世界に憧れる、夢を見る、恋焦がれる。
そういった生活の中で忘れてしまいそうになる感覚が、その時だけでも蘇ってくるような、そんな感じになるのだ。

私は「映画好き」では無いかもしれないが、映画は好きです。

今も苦しい日々は続いているが、あの頃と比べると映画を見る心の余裕が少しは持てるようになったし、レンタルもDVDになり値段も格段に安くなった。
そのおかげで、日々の少しだけでもDVDの映画鑑賞に充てる事ができるようになりました。

そんな人間が書いているブログです。
映画で無い事も書くと思います。
それでも良ければ、少しだけお付き合いいただければ幸いです。

今宵のDVD 『しろくまカフェ』

妙にシュールな、ほのぼのアニメ

先日、レンタルで「しろくまカフェ」のDVDを借りてきて鑑賞した。

私はこの作品の存在を恥ずかしながら今まで知らなかったのだが、知人の勧めで見る事となった。
この「しろくまカフェ」は、マンガが原作のテレビアニメをDVDにまとめたもので、1話が約25分。
1話は2つのストーリーで構成されており、それが4話分収録されているので、約100分の作品だ。

調べてみると、このアニメは結構な人気があるようで、東京の高田馬場(早稲田大学の近く)に、このアニメをモチーフにして、アニメに出てくるカフェをそのまま再現したお店まで作られているとのこと。
いやはや知らないとは恐ろしい事ですね。

このアニメを見た感想は
「妙にシュールなほのぼのアニメ」といった感じだろうか。

カフェを経営するのは白クマ。
そこに人間が普通に客として訪れている。
人間以外にも、ペンギンやパンダ、コアラやラマなどの動物もやって来る。
主役は動物、しかし白クマに雇われているカフェの店員さんは人間の女性という何ともシュールな話だ。

しかし、話の中身というと非常にゆる~いテンポで、ほのぼのした話が展開されていく。
例えば、客の一人であるパンダは、働くのが大嫌い。
カフェの隣のわりと裕福そうな広めの家に住んでおり、ニート生活を送っていたのだが母親に怒られて仕方なく仕事をさがし、近くの動物園に非常勤の雇われパンダとして働く事となる。
仕事が無い日や仕事帰りに「しろくまカフェ」に寄り、動物園仲間らと動物トークに花を咲かせるというほのぼのストーリー。

ほのぼのだけが魅力ではない。
主となるキャラクターは、店員の女性以外は殆どが動物なのだが、その動物の描き方がなかなかリアルなのだ。
アニメに出てくる動物というと、つるんとしたとか、ぶよぶよしたとか、ふわふわしたという質感が多いと思うが、この作品に出てくる動物はそうではなく、キチンと毛が描かれているし、パンダに至っては、顔や仕草は可愛いのにキチンとキバもある。
カフェで注文するのが、笹だったり草だったりと細かいところでリアルなのだ。

他にはペンギンの肩を揉もうとした白クマの詰めがペンギンの皮膚にささってしまうとか・・・
お弁当をもって昼間にお花見に行くが、つまみを買いに行ったナマケモノが帰ってくるのは誰もいなくなってしまった夜だった。
でも、店長のしろくまだけはちゃんと待っててくれいて、二人で夜桜を見ながらお酒を汲みかわすとか・・・

妙なところでシュールであり、全体としてはほのぼのしていて、細かいところでリアルという、このアニメ独特の世界観をもった作品で、飽きの来ない良いお話だと思う。

この話は連続物でもないし、1つのストーリーが大体10分くらいなので、気軽に見始めて途中でやめるなんて見方も悪くないと思う。おやすみ映画にしても続きが気になって眠れないなんて事もなくいいんじゃないだろうか。
DVDも何本も出ているようなので、全てのストーリーを見るのには結構時間がかかるだろう。
のんびりしたい時に手軽にチョイスするにはとってもいいDVD作品だと思う。


今宵のDVD 『タンポポ』

先日、レンタルで「タンポポ」のDVDを借りてきて鑑賞した。

タンポポは古い映画で公開が1985年だから、約30年前という事になる。
それでも見ていて、フィルムの色は別にして、作品に古さを感じないいい映画だったと思う。

この映画を語る際には、やはり多少のネタバレを含まざるを得ない。
これから鑑賞しようとする人で多少のネタバレも嫌な方は、一度映画を見てからもう一度ここへ足を運んでいただけると大変嬉しく思います。

では本題
この映画は、脚本・監督の伊丹十三氏が「ラーメン・ウエスタン」と称したように、西部劇の作りを意識した作品である。
西部劇が好きな人とか、昔良く見たという人には、ストーリーだけではなく、アングルやカメラワークなども西部劇を意識したという事が分かってもらえると思う。
私は父が西部劇が好きだった事もあって、テレビでよく西部劇を見ていたので、懐かしいような、嬉しいような面白さを感じた。

ストーリーを簡単に言えば、人気のない一軒のラーメン屋さんを繁盛させる為に主人公達が奮闘するという、今となればありふれた物語なのかもしれないが、実はそれだけでは語れない映画である。
この物語はラーメン屋を盛りたてようとする主人公達の話が主軸ではあるのだが、3つの違った主観を持った幾つもの物語が微妙に意味合いを絡ませながらオムニバスのように展開されていく。
一見すると何も関係のない話のように思えるのだが微妙に主軸との共通点を持っているのだ。

1つは「食」
あらゆるストーリーに食べ物が関わってくる。
非常に美味しそうな話もあれば、少し切ない話もあり、微笑ましい話もある。
この話は30年も前に作られた作品なのだが、今ではそれ程ではないが当時はさぞ斬新だったであろうと思われる描写もあり見応えがある。 まるで人生は食無しでは語れないと言わんばかりに映画中を食べ物が駆け巡るのだ。
食べ物好きな私にとっては嬉しい映画だ。

2つめは「人間ドラマ」
映画を通してオムニバス形式で、何の絡みもない複数の人間ドラマが展開される。
これらが主軸と、いつ、どこで接点を持つのかと思って見ていても、殆どそれが見当たらない・・・・
この回収されないフラグがこの作品の持ち味となっている。
幾人もの人間ドラマを見せる事で、主人公達の人生が決して綺麗で恰好のいいものではない、泥臭く共感の出来るドラマなのだと思わせているのだ。

3つ目は「エロ」
エロとはちょっとドキっとするエッチなシーンの事であってAVのような大胆な表現のものではない。
それが全てではないが一部のストーリーにエロが展開されるのである。
成熟した女性の大人のエロ、まだ若い蕾が性へと目覚めていく少女のエロ・・・どちらも官能的なエロなのである。
勿論、主人公達にもエロがある。
しかし、こちらのエロは打って変わって、頬が赤らむような純情なエロなのである。
官能的なエロと純情なエロを対比させる事により、人間ドラマで泥臭くなりかけた主人公達をもう一度綺麗なステージへと押し上げていく。

食に人間ドラマが絡み、人間ドラマにエロが絡み、エロに食が絡む・・・このように一見何の関連も無さそうに見える幾つものオムニバスが、実は微妙に絡まりあいながら螺旋を描くように印象操作の役を担いながら、主人公達の主軸のストーリーを盛りたてていくという、非常に考えられ工夫されて作られた映画である。

この映画はコメディー映画にジャンル分けされているのだが、映画好きな人がコメディーだと思って気軽に見始めてしまうと、伊丹十三監督の仕掛けた作品の迷宮の中に迷い込まされる事になる。
見ている途中で、この作品がまったくコメディー映画ではない事に気づかされ、そしてそれに気づかされた途端に映画の中から何かを見つけ出そうと一つ一つのシーンを深堀しようとする。 それこそが正にこの映画の迷宮であり、映画好きには心地よい仕打ちなのだ。

そして、表層的な映画を装いながら、見る人を翻弄し、作品はラストシーンを迎える事となる。
私は個人的には最後のシーン(ラスト直前のシーン)が非常に好きだと思った。
ネタばれになるので詳しくは書かないが、カメラワークや台詞が非常によく西部劇を彷彿とさせる。
この作品の中で一番強く西部劇を意識させるのがこのラストなのではないかと思う。
このラストを見る為だけにでも、もう一度見たいと思わせる映画である。


・・・・と、十分作品を褒めたところで、そろそろ書いてもいいだろうか。

まぁ、映画そのものは面白いし、まるっきりの余談なのだが・・・
という前提でここから先は読んでほしい

この映画
ラーメンの映画なのだが・・・・
肝心のラーメンが私には美味しそうには見えないのだ
ひょっとして、監督は特にラーメンに思い入れがある訳じゃないのではないだろうか
ラーメンの映画が取りたかった訳ではなく、映画の題材として、たまたまラーメンであっただけではないだろうか
そんな風に思ってしまった
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Danzig1023

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